「教育」は「暴力性」をもつ。
これが私の主張です。
えっ!?
て思われた方はいらっしゃいませんか?
それは、当然だと思います。
「教育」と「暴力(性)」は、
一見するとかけ離れた性質をもつもののように思えるからです。
しかし、
「教育」は「暴力性」をもつ。
これが、今回の連載記事で、私が主張してみたいことです。
一体、それはどうしてなのでしょうか?
結論:「教育」は「首のすげ替え」に終始
なぜ、「教育」が「暴力性」をもつのか。
それは、「教育」は、子どもたちの「首のすげ替え」に終始してしまうからです。
それでは、一体「首のすげ替え」とはどういうことなのでしょうか?
「首のすげかえ」をもう少し、簡単に言うなら、
子どもたちに「正しい方向を向かせる」ということです。
もう少し、極端な言い方をするならば、
「どんなことがあろうとも無理矢理にでも、子どもたちに正しい方向を向かせようとする」
これが、「教育」のもつ性質=「暴力性」です。
つまり、ここで言う「暴力性」とは、
「無理矢理にでも~させる」という性質のことであり、
教育には、その「暴力性」がある。
ということを私は主張してみたいのです。
(いやいや、教育ってそんなもんじゃないでしょ?)
そう思われる方もいると思います。
私も、どこかでそう信じている節があります。
今回の連載では、その点を具体例をもとに、考察してみたいと思います。
それでは、次回をお楽しみに。