【教育哲学】「教育」には「暴力性」がある? ~考察①~

教育

「教育」は「暴力性」をもつ。

これが私の主張です。

 

えっ!?

 

て思われた方はいらっしゃいませんか?

 

それは、当然だと思います。

 

「教育」と「暴力(性)」は、

一見するとかけ離れた性質をもつもののように思えるからです。

 

しかし、

 

「教育」は「暴力性」をもつ。

 

これが、今回の連載記事で、私が主張してみたいことです。

 

一体、それはどうしてなのでしょうか?

 

結論:「教育」は「首のすげ替え」に終始

 なぜ、「教育」が「暴力性」をもつのか。

 

 それは、「教育」は、子どもたちの「首のすげ替え」に終始してしまうからです。

 

 それでは、一体「首のすげ替え」とはどういうことなのでしょうか?

 

 「首のすげかえ」をもう少し、簡単に言うなら、

 子どもたちに「正しい方向を向かせる」ということです。

 

 もう少し、極端な言い方をするならば、

 

 「どんなことがあろうとも無理矢理にでも、子どもたちに正しい方向を向かせようとする」

 

 これが、「教育」のもつ性質=「暴力性」です。

 

 つまり、ここで言う「暴力性」とは、

 

 「無理矢理にでも~させる」という性質のことであり、

 

 教育には、その「暴力性」がある。

 

 ということを私は主張してみたいのです。

 

(いやいや、教育ってそんなもんじゃないでしょ?)

 

 そう思われる方もいると思います。

 

 私も、どこかでそう信じている節があります。

 

 今回の連載では、その点を具体例をもとに、考察してみたいと思います。

 

 それでは、次回をお楽しみに。

 

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