「1000文字で語る樺沢紫苑『父滅の刃』と私」

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「1000文字で語る樺沢紫苑『父滅の刃』と私」

 

 私にとって、「父性」の存在は”無能”である。なぜなら、母親の方が圧倒的に言語能力が高く、幼い頃から言い負かされ、無能な父親の姿を見せ続けられていたからである。そして、その無頂点を極めたのが昨年の12月である。私が高校生の時から借金を重ねて自転車操業で家計を回していたことが、社会人4年目の時になって初めて発覚したのである。その時、家庭を困窮させた存在として、はっきり言って「無能」「役立たず」=Weak Father それが私が父親に対して感じていることである。

 本書を読んだ時、「父性」の存在を失った人とは私のことではないかと思ったほどである。

「この本は、あなたに「父親はどこに消えたのか?」を考えていただく「きっかけ」にするために書きました。」

 そう、そのとおり、「父性はどこに消えたのだろうか?」そう考えるきっかけになったのが本書である。

 

  それでは、樺沢の述べる「父性」とはなにか。

「私の考える父性とは、「規範、ルール、ビジョンを示し、社会での生き方を示すもの」です。規範や社会のルール、理念やビジョンを子どもに示し、人が社会に船出していく上で困らない方向性と倫理や道徳を示す。それを「父性」と捉えています。」

 その父性が失われたり、母親が父性を担い、父親が母性を担ったりすることで種々問題が発生することを樺澤は危惧していた。

 私は、反対に「父性が失われていくこと」を肯定的に捉えている。なぜなら、父性的なもの「規範、ルール、ビジョン」「倫理や道徳」。これらは絶対に正しいとは言えないと考えるからである。

 これまでは誰かが規範、ルール、ビジョン」「社会に船出していく上で困らない方向性と倫理や道徳」を示していた。しかし、インターネットやSNSの普及を通して、それに追従していくだけが人生ではないという多様な生き方への承認が起こり始めた。だからこそ、このような「父性不在」の時代になったのではないかと推察する。そして、それは、「天気の子」、「鬼滅の刃」、「万引き家族」に描かれていたように、「自分が父性を発揮するしかない!」という自身で父性を見つけていく、自身で自分の人生の方向性を決められる時代になったということだと考えるからこそ「父性不在」の時代を「よい」と捉えるのである。

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